暮らしを磨くとき

理想は丁寧な暮らしをする上品レディ。愛するくらしを実現するための生活記録。

ゆめゆめ忘れることなかれ

私はその日に見た夢をよく覚えている。眠りが浅いのかもしれないが、景色の綺麗な夢や、知り合いが出てきて、本人だったら絶対そんなことしないでしょ、という滑稽な演出の夢など、比較的いい印象だったりちょっとクスッと笑えたりする夢を見ることが多いからかもしれない。だが、今日はとんでもなく恐ろしい夢を見た。私はホラー映画は見ないのでよくわかっていないが、ホラー映画の嫌なところを詰め込んだような夢だった。

夢を覚えているのは、面白いなと思う夢を見たら、起きてすぐに彼や猫に「こんな夢を見たのよ」と話をして、さらにその見た夢にどんな意味があるのか、夢占いをするからだと思う。自ら記憶に刻んでいくスタイルなのだ。ちなみに夢占いとは、夢に出てきたものや状況を元に、現在の心理状態や近い未来に起こる出来事などを判断する作業のこと、とのこと。(Wikipediaより)

さて、今日見た夢だ。こんな夢だった。

「薄暗い道を抜けていくと、見るからに腐っている黒く濁った小さな池が道の端にいくつもあり、その池の中にはたくさんの死んだ大きな鯉が浮かんでいた。やだなにここ~、と思いながら歩いていくと足元を猫が歩いてゆき、ひょいと塀の上に乗った。その猫がこちらに顔を向けると、右目にけがをしており血がぽたぽた垂れている。ええ~……、と思いつつさらに歩いていくと、何の変哲もないビルがあったので、入ってみる(なぜ入ってみた)。するとそこには見知らぬ女性(夢の中の私は知り合いのようだった)がいて、『なんであなたがここにいるの?』と聞かれる。『なっちゃんに教えてもらったの(ちなみにその時思い浮かんでる「なっちゃん」は小学校の時の同級生)』、と答えると、女性はバツが悪そうな顔で『あ~……』と言い、『ここが結構な心霊スポットだって知ってる?』と続ける。『私もなんだけど……来ちゃったならしょうがないか』………」

ここで目が覚めた。怖すぎか!!「来ちゃったならしょうがない」って何!?私何されるの!?されたの!?!?というか、そのビルにたどり着くまでの道が怖すぎ!死んだ魚にけがした猫って相当無理なんだが!!(cv.下野紘

というわけで、こういう時こそ夢占いである。夢のトーンも全体的に暗く、もはやモノトーンに近かったので結果は相当悪いことが予想できるし、これで吉夢と言われたらむしろ「そんな馬鹿な」と思うが、一縷の望みにかけて調べてみた。ただ、私はちゃんとした夢占い師ではないので、キーワード検索で得た情報から夢の内容を紐解いてみようと思う。

まずは「薄暗い道」。ほとんどの夢占いサイトで「対人運の停滞」とあった。さらに、暗闇で怖がる夢は「体調の悪化・金運の停滞」と書いているサイトもあった。はじめっからもうだめじゃん。

次に「死んだ魚」。「大きな鯉」と明確な記憶があるので、鯉で調べると、鯉は幸運や成功の象徴とされており、基本的に縁起のいい夢なんだそうだ。そんな鯉が大量に死んでいたのだ。当たり前に「運気ダウンの予兆、もしくはもう運気ダウンしている状態」とのことだ。鯉~生きててくれ~……。

そして「けがをした猫」。「気のゆるみによる事故やケガの暗示」だそうだ。さらに、けがをしたところから血が出ている場合は対人運や健康面の諸々の運気低迷とのことだ。もう驚かないぞ。

続いて「知らない女性」。見た目の印象は結構若く、切れ長で一重の目をしていた。知り合いじゃない女性の夢を女性が見るとき、それは「自分自身の象徴」らしい。私だったんかい。もう少し細かく調べてみると、若い女性の夢は吉夢だそうだ!お!いいぞ!周りの人々との関係に変化のある予兆だそうだ。やっと吉夢判断出た……望みあった~、よかった~。

最後に「心霊スポット」だ。心霊スポットの夢は「新しい世界への興味の象徴」であり、「新しい場所や新しいステージに進もうとしている」表れだとか。意外と悪くない!私は心霊スポットに着いた時点で「何ここ……誰かぁ……」となっていた。「心霊スポットで怖がる夢」という詳細な項目があったので読んでみると「変化に対して適応できるのか、という不安な気持ちの表れ」だとか。う~~ん?予定はないな。

調べてみると運気自体が低迷しており、特に対人関係でひと悶着ありそうということが分かった。とはいえ、後半は悪くない状況の暗示のようだったので、ひと悶着あった後に解決して、誰かしらとのつながりが強くなるとか何かいいことがあって、次のステージのことを考えるようなことが起きるのかしら。(願望フィルター強めにかけております)

このようにして私は気になる夢を見たら結構詳細に調べ上げる。起きた時は「最悪な夢見て怖かったし落ち着かないな~」と思っていても、今回のように若い女性が出てきて確変!そして心霊スポットで良い兆しが見えてくることもある。できることならいい暗示の夢だけ見て、順風満帆に暮らしていきたいが、それじゃあどうせ飽きるのだ。たまに、かつ、ちゃんと救いの暗示も出してくれるなら怖い夢も悪くないし、現実に起こるドタバタやイザコザにも何とか当たっていけるというものだ。

そういえば今朝、今度のお給料日に向けて、彼と来月の生活費に関するミニ会議を開いたが、お互いにお給料が今月は低迷気味ということがわかり、残念やら申し訳ないやらで二人そろってしょんぼりしたのだった。対人運と金運の低迷……夢、結構当たってるじゃん。

 

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ふわふわモチベーション

私が今頑張りたいと思っていることは、大きく分けて「美容」と「貯金」だ。この二つは、なるべく早くにはじめて、時間をかけて取り組む必要がある事柄だと思っているからだ。1日ですべての毛穴を撲滅し、すべすべマシュマロ肌になれる薬はないのだし、私のお給料では、ひと月分のお給料で一度に5000万円の貯金もできない。美容と貯金において、自分の理想を達成するためには時間が必要だし、モチベーションも重要だ。ただ、私のモチベーションは湯気のようにゆらゆらふわふわとしており、なかなか手に取れる形になってくれない。

どの記事で書いたか忘れたが、私は努力と継続に苦手意識がある。子供のころから「あなたはろくに努力もせずに、やりたいことしかやらないで……」と親から小言を言われ続けていたので、もう自分はそういう人間だと刷り込まれてしまっているのだ。(私は親との折り合いが悪く、こういう類の呪いに多くかかっている。この呪いを解いていくためにも、美容と貯金の2つが大きな柱となるのだけど、この話は今日はやめとこうか……楽しくないし、そのうちね)そして今、特に美容に関してサボり期に突入しそうな気配がある。努力継続が苦手な人間は、「あ、なんかできなくなりそう」というのは気配でわかるものなのだ。

昨日、カメラマンをしている友人からの頼みで、被写体ごっこをしてきた。ただでさえ最近スキンケアを適当に済ませがちだったのもあり、先週1週間は「せめて少しだけでも期待に応えられる私にならなくちゃ……」という一心で、効果が高いと言われるフェイスパックで文字通りの集中美白ケアをしていた。朝も欠かさずに洗顔したし、髪もいつもより丁寧にトリートメントをしてあげて、その甲斐あって友人からは「すごいいいの撮れた!」と満足の声を頂戴した。そんで思ってしまったのだ。「喜んでもらえてよかった!これで明日からまた頑張らなくてよくなるわ~」と。そんでもってやってしまったのだ。「楽しかったけど、慣れないことしてエネルギー使っちゃった!祝杯もあげなきゃ!(なんの?)」を大義名分に彼ともんじゃ焼きを食べながらだらだら飲み、酔いも回って興にも乗ってカラオケで3時間半過ごし、家に帰ってからもアイスを食べながら、2000年代J-ROCKリストを流して「だー、奥田民生かっくいーぜ!!」と大騒ぎ。そのまま寝ようとしたところ、彼に「お風呂は無理でもお化粧は落としなよ」と言われ、這うようにして洗面所に行き、メイクは落としたものの、その後のスキンケアは一切サボってしまった。おかげで今朝はカピカピの肌状態で目覚めた。肌のつっぱる感じがもはや痛かった。

今回の場合は、「被写体として満足してもらえる状態の私」という目標を1週間でなんとか達成してしまった、ということが大きい。私は何かを頑張ると反動で頑張らなくなる。今回は集中美白ケアを頑張ったので、今度は集中放置の予定になってしまっている。でも美容はサボればサボった分だけ、しっかりとペナルティが発生するものなのだ。特に30代目前、お肌の曲がり角はとっくに超えていて、やらなかった(サボった)結果はたった1日でも、毛穴の目立ちと肌色のくすみとなってばっちり全面に出てくる。怖い、書いてて怖くなってきた。なのに体が動かない。「面倒くさい」にがんじがらめにされている。

たぶん、私には「どうしてこれを頑張るのか」「何を目指して頑張るのか」といったモチベーションの中で、後者の目的が明確に設定されていないから、こうやってサボってしまうときが周期的に来るのだと思う。「どうして」は簡単だ。鏡に映る、自分が思う「可愛くて綺麗な私」を見るとテンションが上がる。私はよく「美は自信」といろいろなところで言って回っているのだが、自分に自信を持ち続けるために美容を頑張りたい、というのは、まだまだ柔いが一つの芯になっている。

でもじゃあ「何を目指して」と言われると、これが難しい。例えば、VOCEで連載を持てるほどの美容研究家や「こんな美容法で綺麗になりました♪」といったポストをする美容系インフルエンサーになりたいのか、と聞かれると「いやぁ別に……?」となるし、「今から一念発起してモデルになりたい!」とか、「顔採用のある会社に転職して美人OLとしてバリバリやりたい」とかそういうわけでもない。しいて言うなら田中みな実になりたいが、これは憧れなので、目的かと言われるとベクトルが少し違う。

「何を目指して」が明確になるとモチベーションの維持が格段にしやすくなることはわかっている。なぜなら貯金のほうは、「暮らしを守るため」という目的も目標もしっかりあり、モチベーションが下がってしまうことが少ないからだ。ざっくりした目的だが、私は自分のメンタルがお金に左右されることをよく理解しているので、「こういう出費の予定がって、そのためにいつまでにいくらは必ず貯める」といった目標と目的をちゃんと立てられる。一時的に緊急の出費がかさんでしまって貯金を崩すことがあっても、ちゃんと立て直せるだけのモチベーションは持ち続けられる。

美容に関しても、目標をちゃんと決めないとな。これからも毎日この顔で、この体で、この肌で生きていくのだ。目指す場所がまだないからといって、頑張らなくていいはずはない。面倒くさくてまだ体が動きそうにないが、あと5分だけインスタ見たら、お風呂に入りに行こう。

 

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アイスコーヒーをどうぞ

お題「もっと早くやっておけばよかったと思う事」

 

私はコーヒーを愛している。18際の時、北千住のとある純喫茶でバイトをしていたのだが、バイトには入り時間と休憩時間に、マスターが丁寧に入れたコーヒーを振る舞ってくれていた。そのコーヒーがおいしいのなんの。おかげでコーヒーの美味しさに目覚めて、もう10年以上コーヒーを常飲している。大体は朝に一杯、仕事の休憩中に一杯飲んでいる。普段はスーパーに売っている挽いてある状態の安いコーヒーを飲んでいるが、たまにコーヒー屋さんの豆をゴリゴリ自分で挽いて淹れるのも好きだ。私は夏でも、ホットのブレンドばかりを飲む。

最近よく話に出てくる私の彼もコーヒー好きだ。休日にはよく彼の分もコーヒーを淹れて、一緒にのんびりと過ごす。特に寒い冬の朝など、同じ味のコーヒーを一緒に飲むのは幸せなひとときだ。しかし、夏になってくるとそうはいかなくなってくる。冷房戦争の記事にも書いたが彼は生粋の暑がりで、夏はアイスコーヒーしか飲まなくなる。

朝、「コーヒーいれよっか?」と聞くと、「買ってくるよー」と言って、彼はふらりとコンビニへアイスコーヒーを買いに出かける。帰ってくれば私は自分で淹れたものを、彼は買ってきたものを結局一緒に飲むし、別に責めるつもりはないが、なんとなく気持ちがしゅんとする。そういうわけで、私の「しゅん」を減らすべく、今年はアイスコーヒーを家で淹れられるようになろう、と決意した。

ネットで「アイスコーヒーの淹れ方」を調べたら出てくる出てくる。ハンドドリップでアイスコーヒーを作る場合は、ホットを作る時の2倍豆を使えばいいと書いてあった。え、そんだけ???そう、そんだけなのだった。

私が家でアイスコーヒーを淹れてこなかった理由として、私がそもそもアイスコーヒーをあまり飲まないこともあるが、豆の適量がわからないから、というのが大きかった。喫茶店勤めは結構長く、北千住のそのお店を辞めた後もホテルのラウンジや町のカフェなどで働いてはいた。ホットコーヒーはハンドドリップにしても機械を使うにしても、人が手を加える部分が多かったので(私が勤めていたところではホットコーヒーの汲み置きをしないお店がほとんどだった)、豆の適量や淹れ方は体に染みついていた。

ただ、アイスコーヒーは冷たいことが売りである以上、ほとんどの場合が一気に作って冷やしておいたものを出す、といったスタイルだ。アイスコーヒー自体を抽出する様子は、ほぼ見たことがなかった。お店が空いた時間にとてつもない量の豆を、見たこともないほど大きなコーヒーフィルターの中にぐっぐっと詰めて、また信じられないほど大きなピッチャーでお湯を注ぎ、抽出していく現場は、何度か見たことがある。それがとてつもない重労働に見えていたのも、家でアイスコーヒーを淹れない理由の一つだったかもしれない。

でも、一人分のアイスコーヒーを入れるなら、我が家の小さな陶器製のドリッパーでも十分事足りる。普段からホットコーヒーを2人分淹れる時にも使っているので、豆2倍でも安心だ。先日また彼の「暑いからアイスコーヒーが飲みたい」が発生したので、私はいよいよ敬遠し続けたアイスコーヒー作りに着手した。「作れるよ!作ってあげる!」といった時の彼のほんとに?と思いつつも嬉しそうにしている顔と言ったら。ウフフ。

豆をいつもの2倍にして、お湯はいつもと同じ量で。なんとなく、いつものようにちゃちゃっと淹れたら味が薄くなるような気がして、「おいしくなりますように……」とブツブツ唱えながらゆっくりコーヒーを出していく。褐色を通り越して真っ黒な液体がぽたぽたと落ちて、溜まっていく。うえ~~~濃そう~~~!

150mlコーヒーが抽出出来たら、氷をいっぱいに入れておいたIKEAのゴブレットに、ゆっくりと注ぐ。うちにはマドラーがないので、スプーンでかき混ぜると、カラカラと氷のいい音がした。色も薄くなっていない。スプーンで一口だけすくって飲むと、しっかり苦くて、コクのあるアイスコーヒーだった。めちゃめちゃ上手に淹れられた!彼にも大好評だったし、夏の休日の朝のコーヒータイム問題を解消できたので、私も満足だ。

アイスコーヒーを淹れるのは思いのほか簡単だった。調べれば簡単にできるとわかるのに、いつまでも調べずに「できない」の一点張りだったのがもったいない。これからは気になったことはさっさと調べて、一度やってみる癖をつけられたらいいな、と私の淹れたアイスコーヒーをおいしそうに飲んでいる彼の顔を見て思った。

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美人女子社員の仮面

私の勤めている会社は、都内某所のビルの一角にあるのだが、コロナ禍に突入してからは在宅勤務となり、4年がたった今も、出社は月に1度きりで、非常に働きやすい。出社当日の私は「面倒くさいなあ……」と内心毒づきながらも、非常にしゃっきりとした、まっとうな社会人のごとくオフィスでの仕事に励んでいる。姿勢正しくデスクチェアに座り、数少ないこなすべきタスクに取り組み、上司の声掛けに笑顔で答え、必要とあらば雑談も少々。オフィスの花としてひっそりと咲きつつ過ごすのだ。

ところが、出社をした翌日の私は、反動からか紛うことなきポンコツとなる。もうポンコツとしか言いようがないほどのポンコツぶりだ。どれだけポンコツかと言うと、まず朝は起きられない。出社の日は、朝5時に起きて支度を始める。始業の10分前にオフィスに着く予定ならばこんなに早く起きる必要は無いが、以前そのスケジュールで出社をしたら通勤ラッシュに巻き込まれ、体は痛い、荷物は重い、電車は臭いの三拍子で、結局午後まで頭が回らなかったのだ。あまりにもしんどく、とても耐えきれないので、今は始業の1時間半前には職場の最寄り駅に降り立ち、時間までカフェで時間を潰すようになった。

そして始業してからも、いつもなら15分ほどで完了するタスクに30分ほど時間をかけて取り組む。まったくもって集中していないし、頭も回らない。私はライターとして会社に在籍しているので、一日のほとんどを原稿の制作と確認に費やすが、この作業もほとんどできない。というか、できなくてもいいように昨日の私がやっておいてくれちゃっているのだ。昨日の有能な私に甘えるようにして、午前中はほとんどのタスクをさぼってしまう。回らない頭で無理をして原稿を書いたり確認したりしてミスが増えるなら、やらないほうがよっぽど良いのだ。

休憩中は、昼寝をしているかベッドに座ってボーっと天井を眺めているか、インスタを見ているか……つまり何もしない。「昨日の疲れが今来た」を免罪符にして、午前中だらけ切っていた体をさらにだらけさせる。メタモンくらいゆるゆるにしてやる。

昼寝から起きられず、ナチュラルに10分ほど休憩を延長して午後の仕事に取り掛かるが、上述した通り、昨日の有能かつファビュラスな私のおかげで午後もほとんどやることがない。なので、大体ネットサーフィンをする……回らない頭で無理をして原稿を書いたり確認したりしてミスが増えるなら、やらないほうがよっぽど良いのだ。(どこかで聞いた気がするが、昨日の疲れを引きずっているため、午前中の記憶なんかほとんどない)

出社の翌日、私が唯一ポンコツを脱する時間は、定時だ。どうせやることなんかないのだから、ダラダラ残業をしていたって意味はない。始業から定時まで、もう十分給料泥棒状態で過ごしているので、これ以上はいただきすぎというものだ。在宅なのでダッシュする必要はないが、定時を迎えた瞬間に退勤のメールを送信し、「定時ダッシュ」で終業する。こうして出社の翌日は、午前は何もせず、午後も何もせず、ただ定時で帰るだけの1日を過ごしている。(たった1文で完結するのに、こんなに長々と書いて、文章が書けるって楽しいなァ。)

出社さえしなければ、こんなことにはならないはずなのだ。朝から電車で体力を削られ、騒がしいオフィスで集中を欠き、帰りの電車で満身創痍。完全在宅ワークなら、毎日同じペースで生活し、同じような集中力で仕事を続けられる。仕事が嫌いなわけではないし、そこそこのやりがいもありはする。それがたかが1回出社の日に「美人女子社員」を演じたばっかりに、翌日とんでもない干物女が顔を出すのだ。「出社の次の日はポンコツ」という簡単な話ではなかった。この干物女は顔も洗わないし、仕事もしないし、もはや怪物だ。オフィスの花の命は短い。そしてその命は、怪物・干物女によって踏みつけにされ、奪われる。これはとっても悲しいお話だ。社会問題にも匹敵するだろう。

毎日効率的に仕事をするのであれば、そして社会に悲しき怪物を産み落とさないためには、必要のない出社は控えたほうがいい。経営者の皆様方、聞こえておりますでしょうか。悲しき怪物からの涙の訴えでございます。

 

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プチプラファッションは正義の味方

プチプラファッションは、沼だ。今の時代、もはや「安かろう悪かろう」といった風潮は終わったも同然に近く、プチプラでもいわゆる「高見え(一見すると高価な品に見える)」する、質の高いものが増えている。

私は丁寧な暮らしにはあこがれているが、ミニマリストへのあこがれは薄い。インスタなどでミニマリストの方々のポストを見ると、大体「洋服は10着まで」と書いてある。絶っっっっっっ対無理!最近「フランス人は10着しか服を持たない」という本も読んだのだが、暮らしに対して「なるほどな~」と思った部分はあったものの、洋服に関する部分だけは別世界が舞台のファンタジーを読んでいるような気分だった。(タイトルなのに……笑)

もちろん、私の散らかりがちな部屋が散らかる大きな要因の一つに、服は上げられる。1日しか着てない、汗かいてない、洗うと傷むなどの理由で、脱ぎ捨てた服をダイニングのいすの上やベッドの下に無造作に置いてしまうことはよくある。汚れた部屋は丁寧な暮らしの対極であり、敵だ。手持ちの服の数が少なければそんなことにはならないだろう。それでも私は、洋服を買うことを辞めない。なぜなら私はファッションのすべてを愛しており、もはやコレクションとして楽しんでいるからだ。

ファッションは、一番身近な自分の理想を叶える手段だと思っている。着る服が変われば、人からの見え方を簡単に変えられる。「なりたい自分になる」をお手軽に済ませられるのだ。手軽と言っても、もちろんセンスがいるし、勉強も必要ではあるが、「腹筋を割る」とか「美しい所作を身に着ける」とか、そういう自分磨きに比べると、圧倒的にかかる時間が少ない。一番手軽な自分磨きと言っても過言ではないと思う。

私は子供のころから洋服が好きで、高校生くらいのころからありとあらゆるジャンルの服を着てきた。当時流行っていた森ガールに始まり、おじカジ(おじさんみたいなカジュアルファッションの意味)、古着、作家さんのハンドメイド服などなど……。今はジャンルにとらわれず、着たい服を好きに着ているが、FUDGE風のクラシカルでトラッドなファッションはもう長いこと好きで(トラッドなだけある)、私のスタイルになりつつある。また、流行の韓国風ファッションも好きだ。今は「レディライクなカジュアル」を着こなすべく、研究をしている。

これから夏になると、肌を見せる服が多くなる。年々選ぶ服の露出度が増えており(下品になるほどは出しませんよ)、20代前半ではほとんど全く着なかったミニスカートやショートパンツも、今となっては大好物だ。ミニスカもショーパンも若い子の着るもの、と思われがちだが、着る服の素材や全体のコーディネートをちゃんとまとめれば、30代の肌見せ・脚見せコーデはむしろしっかりとした色気も演出できる。今年は、今まで着てこなかったような服を思い切り着て、自分のスタイルにしていく夏を過ごせそうで楽しみだ。おそらく、これが昭和やもっと前の時代だったら「いつまでもチャラチャラした格好をせずに年相応の服を着なさい」と大人たちに窘められていたことだろう。令和でよかった。

また、「コレクションとして楽しんでいる」と先述した。私にとって服は着ていなくても、眺めるだけで楽しいものなのだ。ウィンドウショッピングも、ファッション系ECサイトのネットサーフィンも、どちらもたまらなく好きだ。特にネットサーフィンは、選択肢が無限にあるので、本当にワクワクする。「新しい自分になるための武器」を見つけて手にし、これから自分の好きなように扱えると思うと、たまらない。「モデルさんはこう着てたけど、私はこう着たい!」と思っていた戦略がピタッとはまったりなんかすると、もうほんとーに嬉しい。そして、その素敵な気持ちはそのまま、クローゼットにしまっておける。我が家の収納はすべて昔ながらの押し入れなので見栄えは悪いが、この押し入れの中に私の「好き」が詰まっていると思うと(そして床にも好きが溢れていると思うと(物は言いよう))、何はなくとも「うふふ」と声が漏れてしまうのだ。ファッションをコレクションとして楽しむことの醍醐味は、この気持ちを味わえることだと思う。

何度も言うが、ファッションは楽しい。たくさんある服の中からコーディネートを決めることで、自分を演出できることはもちろん、自分の魅力に底がないことにも気づくことができる。もちろん、少ない服でもそうできるのならそれに越したことはないのかもしれない。ただ、私の場合手持ちの服の数を制限すると、生活の楽しみが一つ消えてしまう。服が多いからと言って丁寧な暮らしができないわけではないのだ。どんなものでも、付き合い方がすべてだ。では、明日からも「ファッションを愛している!」と声高らかに言えるように、床にあふれた分の「好き」たちを、あるべき場所にしまおうと思います。

 

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読書の流儀

読書が好き、あるいは得意な方に教えていただきたいことがあります。図書館の本の返却期限についてどう思われますか。どの図書館も、2週間の貸出期限が設けられていると思うのですが、ちょっと短くないですか?

恥ずかしながら私は、最近になって図書館を利用するようになった。ずっとAmazonの中古本を送料込みで300円程度で買っていたのだが、塵も積もればなんとやら、出費はかさむし、「読むのは一度だけでいいな」と思った本たちが本棚を占めてしまい、さすがによくないと思って、やっと図書館の存在を思い出したのだ。

私が憧れる丁寧な暮らしを実現するために、丁寧に暮らしている人の啓発本や憧れの人の人生史を読んで、取り入れるべきは取り入れ、学びたいと思ったのだ。そして、図書館で本を借りて、期限内に返却する(それもちゃんと読み切った本を、よ)ってなんかとっても「丁寧な暮らし」への第一歩って感じがする~~~!時間の使い方が上手い人しかそんなことできなさそうじゃん~~~!!

恥ずかしながらpart2で恐縮だが、私はこれまで期限内に本を返却できたことがほとんどない。子供のころはよく読書をしていて、学校や町の図書館をよく利用していたが、早ければ3日、たいがい1週間、遅ければ3か月ほどの遅延をもって返却するのが常だった。(月単位で遅れるときは延長申請を繰り返していた。その労力で本を読めばよかったのだけど子供は子供で忙しいものだ)子供のころから「2週間で返却は不可能」と自らの行動で刷り込まれてきている。読書ができる人は、一体いつ、どんなタイミングで本を開くのだろうか。何百ページもある本をたった2週間で本当に読み切っているのだろうか?

寝る前に読書をする、という方が多いように思うが、私には向いていない。疲れているし、美容のためにも早く寝たい。夜の読書は5ページ、すごく頑張って7ページが限界だ。仮に300ページの本だとしたら、2か月かかってしまう。最近は仕事の休憩中に読む、というスキルを身に着けた。1時間の休憩の中で10~30分は有酸素運動をして、残りの30~50分の間に、読書と昼寝をする。この時間は目が冴えているのでなかなか良い感じだ。だが、いつも気が急いていて、集中力に少し欠けるなぁと感じる。「あと何分で仕事に戻らないといけないのか」が気になりすぎて、本の内容が入っては消え入っては消えしているような感覚だ。あまりよろしくない。朝は朝で、ブログの記事を書いたり読み直したりしているので、読書に時間が割けない。

私の今の生活の中には、読書の入る余地がない。朝起きて、軽い朝活をして、仕事をして休憩して、仕事をして退勤して、夜ご飯を食べてお風呂に入り、見たい番組があれば見て、猫にご飯を出し、彼と今日一日の話をして、眠る。普通の社会人の生活のはずだ。なんなら朝活をしている時点でちょっとえらい、ちょっとだけ意識を持った(高いとは言えない)社会人の生活じゃないだろうか。なのに社会人でも読書を習慣にしている人は多い。なんで?どこで?どのタイミングで???

というか、図書館のシステムっていつから変わっていないのだろうか。多くの人が生活のためにフルタイムで働いており、自分のための時間は非常に少ない世の中だ。そんななかで、たった2週間で借りた本を読んで返すなんて、どんな風に暮らせばそんなことができるのだろうか。時代を鑑みて、せめて3週間、できれば1か月に伸ばしていただけないだろうか。

私は今図書館から2冊本を借りている。返却日まで5日ほどとなるが、1冊は何とか読み切れる兆しが見えてきた。人生で数度目の期限内返却を達成しようとしていて非常にえらい。だが、もう1冊はもうどうあがいても無理だ。受け取った時からわかっていたが、思っていたのの3倍くらい分厚く、630ページくらいある。私はまだ30ページほどしか手を付けられていない。これはもう延長確定だ。図書館のお姉さんに「2冊とも借りていかれますか?」と言われたときに「はい、お願いしますっ!」と元気いっぱいに答えたのは間違いだった。(2冊とも予約した本だった)自分の力量をちゃんと図って、630ページの本は体制が整うまで保管しておいてもらえばよかった。

結局、読み切れなければ借りた図書は延長になるし、今の生活で2週間で本を読み切るのは、今や読書好きの方にしかできない所業ではないかと思う。2週間で1冊をちゃんと読み切る方法を、誰か教えてください。

 

 

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にがい・あまい・にがい

キャラメリゼができない。皆さんキャラメリゼという調理法をご存じだろうか。名前でピンと来なくても、おそらく多くの方が存じているし、食べたことがあるだろう。

キャラメリゼ」とは、加熱によって糖類が酸化するときに起こる現象のこと。この現象を「カラメル化反応」ということから、できたものを「カラメル」と呼ぶのが一般的です。砂糖や水あめなどを使って料理に焦げ色をつけたり、香ばしくしたりする調理法全般を指す言葉。

macaro-ni.jp

クレームブリュレの上の部分に代表されるような、カラメルでうまいこと食材の表面をパリッと、カリッと香ばしくコーティングするあれだ。私はあの調理法が劇的に下手だ。

バナナのキャラメリゼを作ろうとすると、カラメルが固まる前にバナナが焼けすぎてぐずぐずに崩れる。フレンチトーストは文字通り黒焦げになる。おとといの朝、インスタで「フレンチトーストの上手なキャラメリゼの方法」のポストを見かけたのを思い出して、「今ならできるのでは……?」と謎の自信をもって挑戦したが、フライパンと全く同じ黒の色をしたフレンチトーストができて心底びっくりしたし、その日一日分のやる気もあわせて焼失した。あまりにもできないのに、なぜか挑戦したくなるのが不思議だ。「どうせ今日も失敗するな~」と思いながら、気軽にキャラメリゼをしようとして、案の定失敗する。あんまり見事に失敗するので、「やっぱだめか~」と笑ってしまうほどだ。

たいていの家庭料理は作れる、と以前のブログでは書いたし、お菓子作りも子供のころから親しんでいるので、クッキーやケーキ、プリンなんかは問題なく作れる。そう、プリンのカラメルは全然余裕で作れちゃうのだ。砂糖を溶かして焦がすだけだから簡単にできる。だからカラメルと相性が悪いわけではないはずなのだ。ただ、食材のまわりをカリッとコーティングする、あれだけがなぜかできない。

キャラメリゼの失敗方法を調べても、なぜか私の欲しい答えがネット上には載っていない。みんなあの工程を何の問題もなくクリアしているのだろうか?というか家でキャラメリゼの工程が含まれる料理をする人は少ないのだろうか。というかキャラメリゼなんて洒落たことを気軽にするような人は料理の技術に長けており、そもそも失敗などしないから「やり方」ばかりが検索ヒットしてしまうのだろうか。

おそらくキャラメリゼが失敗する理由としては、砂糖を入れるタイミングや量、熱する温度に問題があるのだろう。私は横着者なので、レシピにある「熱した食材を一度取り出す」や「調味料は全て混ぜ合わせてから入れる」といった工程をつい無視してしまうことが多い。もしかするとフレンチトーストは、一度焼いた後取り出して、カラメルを作ってから再投入をするのが正解なのかもしれない。バナナのキャラメリゼは、火にかける前に砂糖や水やバターなどのすべてを鍋に入れてしまってからやるほうが焦げ付くリスクが少ないのかもしれない。レシピにあるあの「取り出す」とか「先に混ぜる」とか、ほんっと面倒くさくて「材料に間違いはないから出来上がりは同じ味!」と押し切ってしまうことがほとんどなのだが、私のような、ただ「料理をするだけ」の一般人が、そのレシピを考案してくださった料理人の方あるいは、料理が私よりも得意で、仕事にこそしていないが、様々な技術や知識をお持ちの一般の方のお言葉を無視するのは、大問題ではないだろうか。

キャラメリゼのレシピは大体、「砂糖と水を熱し、バターを入れてまた熱する」といった簡単な文章でつづられている。私は「自分はそこそこ料理ができる」と過信して、この簡単な文章さえ読み飛ばしているのかしら。砂糖、水、バター。たったこれだけの材料に踊らされ、失敗し続けているのは、私の読解力の問題なのだろうか。「砂糖と水を熱し、バターを入れてまた熱する」。いつもこの通りにしているはずだ。そしてただ歯触りが悪く、甘苦い何かを生みだしている。「砂糖と水を熱し、バターを入れてまた熱する」……。いや、明らかに言葉少ないでしょ。お手上げだわ。

でも私は、あの甘く香ばしく、カリッとしたアクセントを諦めない。キャラメリゼができるようになるまでをこのブログに書き記していくのも、需要はないだろうが私が面白いかもしれないな。私のようにキャラメリゼがどうしてもできない人の一筋の光になってやろうかしら。

 

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