暮らしを磨くとき

理想は丁寧な暮らしをする上品レディ。愛するくらしを実現するための生活記録。

やばいくらいやばいを辞めたい

上品な女性は言葉遣いも美しいものだ。髪がつやつやで乱れておらず、服にはしわもない。すっと伸びた背筋で自信のある確かな足取りで街を歩く。出かけた先で知人に会えば、それが突然のことであっても「あら!こんなところで会うなんて奇遇ね、おでかけ?」などと朗らかに話す。スズランの花のように愛らしく、柔らかではかなげでありながらも、凛としている女性こそ私の目指す女性像だ。

ところがどっこい、今の私ときたら、平日の在宅ワークではくたびれたTシャツにグレーのジャージ。髪は適当にひっつめにして、仕事中はヨガの「牛の顔のポーズ」を崩したような形で足を組み、気が付くと猫背で首がにゅっと前に突き出している。暇になるとすぐにスマホをいじって漫画を読んだりゲームをしたりしている。家にいるときの私ははっきり言ってどうしようもない。「本当に田中みな実になる気あるの?」と聞かれたら、おそらく聞こえなかったふりをする。第一、上品な人が「ところがどっこい!」などという言葉を嬉々として使うのかも疑問だ。

30歳を目前にして、今気になるもの、それは私の言葉遣いだ。子供のころの記憶がほぼないに等しいのだが、小学生のころは活発で、男子にも堂々と渡り合うタイプの女子だった。兄がいたのもあって、男勝りな部分もあったように思う。さすがに「俺」や「僕」を一人称にしたことはなかったが、それでも「おまえ、ばかなんじゃねえの?」「今日遊びこれるやつら、○○公園集合な!」「ハラ減った~」など、いわゆる「男言葉」を多用していた子供時代だったのは覚えている。

10代は言葉遣いを改めよう!と思ったことは特になかったが(この手のしゃべり方って若いうちは「ノリがいい」って肯定的にとらえられることが多いもんね)、20代にもなると、「なんか違う…というかなんか嫌……」と漠然と思うようになり、それまでに使っていた粗暴な言葉遣いを封印するようになった。あの頃の努力の甲斐もあり、今は普通の会話の中では良いとも悪いとも言えない、普通のしゃべり方で話せていると思う。

が、しかし、どうしても封印できなかった言葉がある。「やばい」だ。かつては若者言葉、ギャル言葉の筆頭だったが、今となってはもはやれっきとした日本語として、ご年配の方でさえつかわれることがあるようだ。昔はなにかまずいことを指して使われていたが、今となっては万能語として、いい意味でも悪い意味でも使われている。たとえば「あいつマジヤバイよね」は、話し手の言い方によっては「あの人本当に面白いよね」の意にも、「あの人本当に危なくて怖い人だよね」の意にもとれるのだ。

普段言葉遣いに気を付けている私でも、ふとした時につい使ってしまう。「やばい~傘忘れた」「友達と今度○○行くんだ~、やばい超楽しみー!」「やば、もう定時じゃん」などなど。本当に様々な場面で使ってしまうのだが、使うたびに、「あぁ……」と後悔してしまうのだ。私がなりたい上品な女性から、やばい勢いで遠ざかっていくのを感じてしまう。ほらまたやばいって言った。

SNSやブログでは、「やばい」と書いてしまっても、「あっ」と気がづいて、「すごい」や「まずい」と書き換えることもできるし、ちゃんと気にしていられているうちはまだ少しはましなのかもしれない。ただ、恥ずかしいことに、時々「やばい」以外の言葉が浮かばずに、考えに考えた末結局「やばい」で片づけてしまうことがある。本当にやばいと思う。

万能語はちゃんと万能だが、勢いだけの会話になりがちなのがネックだ。その場のノリで、つい言わなくていいことまで勢いで話してしまったり、勢いが止まらずにどんどん言葉遣いが汚くなっていき、周囲の人に不快な思いをさせたりしてしまう可能性もある。好感や感動、不安や不満を「やばい」で片づけず、一つひとつ正しく伝えられる女性になりたいものだ。

ついでに言うと、「あーね」と「それな」も使うのをやめたい。

 

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