暮らしを磨くとき

理想は丁寧な暮らしをする上品レディ。愛するくらしを実現するための生活記録。

煮たり沸いたり

食事をさぼる話をしたが、料理ができないわけではない。一般的な家庭料理は大体作れるし、手料理を食べてくれた方たちからは「おいしい」と好評だ。料理が特別得意なわけではないけど、私はそこそこの料理上手ではあるらしい。

料理というと、いろいろな工程がある。食材を切ったり、捏ねたり、焼いたり、茹でたり。私は数ある工程の中でも、煮ることが大好きだ。鍋の中で大きな泡がぶくぶく、ぐらぐらと沸き、湯気がふわふわと立ち上るのを見ていると、時間がすごくゆっくりと過ぎていく感じがして、ぼーっとする。料理中なのであまりよくはないが、でも、その「ぼーっと」の中で、食材にじっくりと火が通り、味が引き出され、いい匂いがしてくると、すごく満たされた気持ちになる。この、「満たされた感じ」は、他ではちょっと味わえない特別な感覚なのだ。うまくは言えないが。

そういえば毎朝の白湯タイムでも、白湯が沸くまでをケトルの蓋を開けてじーっと見ていることが多い。白いホーローのケトルと、ケトルの八分目まで注いだ水の境目に小さな泡がぷつぷつと生まれ、だんだんと大きくなっていく。ぼこぼこと音を立てて、時にはケトルの外までお湯の玉が弾け飛び、火を弱めると、ぽこぽことかわいい音に変わる。ケトルに水を入れて火にかけるまでは、「もーめんどくさい……、やっぱ今日はぎりぎりまで寝てたほうがよかった気がする……」と思いながら、お湯が沸いていくさまを見ているうちに頭も体も覚めてくる。時間がないときは白湯を沸かしている間に顔を洗ったり着替えたりすることもあるが、何かと忙しい朝に、ただお湯が沸くのを見ている時間を持てると、丁寧な暮らしに近づいているような気がして、嬉しい。

煮るのは、結構手間がかかる。食材を煮るとだいたいあくが出るので掬わないといけない。具材が多すぎるとお鍋の中にお玉が入らなくて大変だし、具材が細かいとあくと一緒に掬ってしまって勿体ない。煮過ぎると野菜は煮崩れるし、肉は固くなるから、火加減はもちろん時間管理も重要だ。正直言って面倒くさいし、書いているだけでため息が出た。でも、休日など時間がある日は、やっぱり何かを煮たいと思う。鍋の様子を眺めながらボーっとする、あの時間を味わいたい。私は食材を煮ることやお湯を沸かすことを通じて、今流行りの「ととのう」を実行しているのかもしれない。

 

ちなみにみそ汁は好きだが作るのはあまり好きではない。沸騰させられないのがもどかしくて。