暮らしを磨くとき

理想は丁寧な暮らしをする上品レディ。愛するくらしを実現するための生活記録。

魯山人はマブダチ

私の悪癖のひとつで、さっさと改善しないといけないことの一つに「食事をサボること」がある。子供の頃から食は細い方だったのだけど、18歳の時にいろいろあって、それ以降一気に食に対する意欲が削がれた。そして、その代わりにめちゃめちゃお酒を飲むようになった。「どのお酒も原料で考えれば主食みたいなもん」を合言葉に、食事をお酒に置き換える生活がつい最近まで続いていた。というか、続いている。

前にバイトしていた喫茶店のママにも、おにぎり屋の店長にも、大人の皆さんからは「どくちゃん、いつか絶対体壊すよ」と必ず言われてきた。体によくないことくらいさすがの私にもわかっていて、なんとかしなきゃとは常々思っている。でも私が作らないとご飯出てこないんだもん。こんな疲れてるのにさ……あーめんどくさい……どうしたもんか……(冷蔵庫を開けて、ビールの缶のフタを開ける)あー、どーしたもんかなーほんとに……(ゴクゴク。ぷはー、ビールうま。)もう今日はこれでいっか。この流れを繰り返している。

とはいえ、もうそろそろ若いとは言えない年頃で、この方法で乗りきっていける限界はもうそこまで来ているんじゃないか?と気づき始めている。食事から摂るエネルギーが最低限であるためであるのは明白だが、私は体力が引くほどない。何にもしてないのにいつもやたらと疲れていて、かなりのやせ型なのに体はしっかりと重たい。半日動いただけで3時間近く昼寝をしてしまうことさえある。慢性運動不足も手伝って、風邪や肌荒れも治りが年々遅くなっている。こんな体でこれからの人生を生きていけるとは到底思えない。

食事は生きていく上で必要不可欠なことだとはわかっているのだけど、食べることの必要性とその準備の面倒くささを天秤にかけると、いつも後者に傾いてしまう。そもそも努力することがあまり得意ではないうえ、何かを続けることも苦手な私としては、毎日食事をがんばって用意して、それを毎日3食食べ続けないといけないとは、なんかもう苦手のオンパレードだ。頭抱えちゃう。

 

ところで、かの魯山人は「食器は料理の着物である」という言葉を残しているそうだ。どこかのサイトで見かけて「ふ~ん」と思ったので、1度その言葉にならってみることにした。

私は結構なオタク気質で、ハマるととことんまでのめり込むタイプだ。収集癖もあるから、この習性を逆手にとるのは案外ありかもしれない、と思ったのだ。そして思い立ったが吉日と言わんばかりに、ゴールデンウィークかっぱ橋へ行き、有田焼の赤い皿と鞠の柄がついた蒸し碗を買った。そしてその勢いのまま、昨日は陶芸ギャラリーで富士山を模した緑のコップを買った。かわい~。

この作戦が私にはバッチリハマったようだ。買った食器はどれもが可愛くて可愛くてたまらなく、食器を使いたいがために、今月は少しだけ料理をすることができた。しかも、味は変わっていないはずなのに、すごくおいしいものを作ったような気分になる。私ってばチョロい人間。料理ができた日は「魯山人ありがと~!」と心の中で魯山人と握手している。(顔とか全然知らんけど)

新たに叩いた「器」の扉をくぐり、今日もお気に入りたちを惚れ惚れと眺めながら、なんでもやり方ひとつだな、と思う。視点を変えたらできるようになることがまだまだたくさんあるのかもしれない。

さて次は視点を変えて、収集癖の抑え方を見つけたい。めちゃちゃ食器欲しいよ、この気持ちどうしよう。